宝永教会の沿革
福井宝永教会は福井市内で最も早く伝道を開始したプロテスタント教会のひとつです。
日本でのプロテスタント教会の伝道は、1859年に最初のプロテスタント宣教師が来日したことから始まり、横浜、熊本、札幌から日本各地に広まっていきました。
福井宝永教会はそのうち、横浜から始まった米国北長老派教会の流れを汲む日本基督一致教会(のちの日本基督教会)によって形成され、1890年に伝道を開始しました。
現在は日本キリスト教会に属し、2023年7月に133周年を迎える現在も、毎週の主日礼拝を守り、聖書の御言葉を述べ伝え続けています。
伝道開始~教会設立
1890年
日本キリスト一致教会浪速中会は、東京より派遣された越前国に縁のある伝道師・林清吉を東京より招き、福井市に派遣する。
林清吉は、市の中心街・佐佳枝中町15番地の借家を講義所兼牧師館とし、7月より伝道を開始。
1891年
米国北長老派教会宣教師 G.W.フルトン夫妻がプレスビテリアン関西会議の決議に基づき、金沢より赴任。
林清吉とフルトン夫妻が協力して伝道に当たり、1892年までに成人11名の信者を得る。
同年10月28日、第14回浪速中会に於いて福井仮教会設立の認可を得る。
伝道教会に編入~会堂建設
1908年
伝道師 馬場正毅、宣教師 G.J.ダンロップの時、福井仮教会(講義所)は58名の信者を有していたが、ミッションより月額44円の補助金を受けていたので、第31回浪速中会の決議に基づき、同中会より伝道教会に編入されたとの報告を得る。
1913年
教師 青木仲英、宣教師デットワイラーの時、宝永上町50番地の宣教師館敷地400坪の半分を借り、会堂と牧師館を新築し移転する。
福井宝永教会として自給独立教会に
1941年
伝道師 松田範良の時、在日プレスビテリアン宣教師社団より会堂及び200坪の土地が日本基督教会維持財団に寄付されたのを機に自給に入る。
同年6月24日、日本基督教団創立により福井伝道教会は、福井宝永教会と名称を変更する。
同年7月2日、福井宝永教会建設式を執行する。
宣教開始から数えて51年を経て、ここに長年の念願だった自給独立の教会となる。
福井大空襲で会堂焼失~現在地に移転
1945年
福井大空襲により会堂が焼失する。
1946年
教師 大山忠一の時、日本基督教団脱退・改革派教会加入の件が審議されたが、未決となる。
1950年
3月11日、伝道師 上亨の時、現在地にいわゆる戦災復興会堂を得て移転する。
日本キリスト教会加入~現会堂建立
1953年
無牧の時、日本基督教団を脱退し、日本キリスト教会に加入する。
1976年
教師 南茂昭夫の時、鉄筋コンクリートの会堂を建て、献堂式を執行する。
1985年
教師 中村静郎が着任する。
1988年
会堂の一部を改築する。
宣教開始百周年~パイプオルガン設置
1990年
宣教開始百周年記念礼拝及び感謝会を持つ。
『福井宝永教会百年史』を発行する。
2010年
120周年記念にパイプオルガンを設置し、記念礼拝を持つ。
2023年
教師 持田克己が着任する。
宝永教会の沿革を最後までお読みくださり、ありがとうございました。
教会とは、建物のことではなく、キリストのからだである、キリストを信じる者の集まりのことです。
「神はまた、すべてのものをキリストの足もとに従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭(かしら)として教会にお与えになりました。」(エフェソ1:22)
これからも、宝永教会はキリストをかしらとし、礼拝を守り、聖書の御言葉を述べ伝えていきます。
あなたがキリストに救いを求め、宝永教会に来られることを心よりお待ちしております。