2020年1月5日(日) 午前10時30分~
説教:「 神の正し裁き 」 中村静郎牧師
聖書: ローマの信徒への手紙2章1~16節
讃美歌21
11( 感謝にみちて )
355( 主をほめよ わが心 )
361(この世はみな)
新約聖書(新共同訳)より
ローマの信徒への手紙2章1~16節
だから、すべて人を裁く者よ、弁解の余地はない。
あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。
あなたも人を裁いて、同じことをしているからです。
神はこのようなことを行う者を正しくお裁きになると、わたしたちは知っています。
このようなことをする者を裁きながら、自分でも同じことをしている者よ、あなたは、神の裁きを逃れられると思うのですか。
あるいは、神の憐れみがあなたを悔い改めに導くことも知らないで、その豊かな慈愛と寛容と忍耐とを軽んじるのですか。
あなたは、かたくなで心を改めようとせず、神の怒りを自分のために蓄えています。
この怒りは、神が正しい裁きを行われる怒りの日に現れるでしょう。
神はおのおのの行いに従ってお報いになります。
すなわち、忍耐強く善を行い、栄光と誉れと不滅のものを求める者には、永遠の命をお与えになり、反抗心にかられ、真理ではなく不義に従う者には、怒りと憤りをお示しになります。
すべて悪を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、苦しみと悩みが下り、 すべて善を行う者には、ユダヤ人はもとよりギリシア人にも、栄光と誉れと平和が与えられます。
神は人を分け隔てなさいません。
律法を知らないで罪を犯した者は皆、この律法と関係なく滅び、また、律法の下にあって罪を犯した者は皆、律法によって裁かれます。
律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。
たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。
こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。
彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています。
そのことは、神が、わたしの福音の告げるとおり、人々の隠れた事柄をキリスト・イエスを通して裁かれる日に、明らかになるでしょう。
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