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執筆者の写真福井宝永教会 日本キリスト教会

主日礼拝・福井宝永教会


2020年4月5日(日) 午前10時30分~

説教:「将来の栄光」 中村静郎牧師​


聖書:ローマの信徒への手紙8章18~30節


讃美歌21

83、1、313、455、29

 

新約聖書(新共同訳)より

ローマの信徒への手紙8章18~30節


現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。


被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。


被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。


つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由にあずかれるからです。


被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています。


被造物だけでなく、“霊”の初穂をいただいているわたしたちも、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中でうめきながら待ち望んでいます。


わたしたちは、このような希望によって救われているのです。


見えるものに対する希望は希望ではありません。


現に見ているものをだれがなお望むでしょうか。


わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。


同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。


わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。


人の心を見抜く方は、“霊”の思いが何であるかを知っておられます。


“霊”は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです。


神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。


神は前もって知っておられた者たちを、御子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました。


それは、御子が多くの兄弟の中で長子となられるためです。


神はあらかじめ定められた者たちを召し出し、召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。



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