2020年6月21日(日)
午前10時30分~
説教:「イスラエルの選び(Ⅱ)」
中村静郎牧師
聖書:ローマ信徒への手紙9章9~18節
讃美歌21
83・7・358・361・29
新約聖書(新共同訳)より
ローマ信徒への手紙9章9~18節
約束の言葉は、「来年の今ごろに、わたしは来る。そして、サラには男の子が生まれる」というものでした。
それだけではなく、リベカが、一人の人、つまりわたしたちの父イサクによって身ごもった場合にも、同じことが言えます。
その子供たちがまだ生まれもせず、善いことも悪いこともしていないのに、「兄は弟に仕えるであろう」とリベカに告げられました。
それは、自由な選びによる神の計画が人の行いにはよらず、お召しになる方によって進められるためでした。
「わたしはヤコブを愛し、エサウを憎んだ」と書いてあるとおりです。
では、どういうことになるのか。神に不義があるのか。
決してそうではない。
神はモーセに、
「わたしは自分が憐れもうと思う者を憐れみ、慈しもうと思う者を慈しむ」
と言っておられます。
従って、これは、人の意志や努力ではなく、神の憐れみによるものです。
聖書にはファラオについて、「わたしがあなたを立てたのは、あなたによってわたしの力を現し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである」と書いてあります。
このように、神は御自分が憐れみたいと思う者を憐れみ、かたくなにしたいと思う者をかたくなにされるのです。
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