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執筆者の写真福井宝永教会 日本キリスト教会

主日礼拝・福井宝永教会


2022年2月13日(日) 10:30~


説教:目を覚ましている僕

中村静郎牧師​


聖書:ルカによる福音書12章35~48節


讃美歌21: 83・23・199・577・29















 

新約聖書(新共同訳)より

ルカによる福音書12章35~48節


「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい。


主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けようと待っている人のようにしていなさい。


主人が帰って来たとき、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。


はっきり言っておくが、主人は帯を締めて、この僕たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくれる。


主人が真夜中に帰っても、夜明けに帰っても、目を覚ましているのを見られる僕たちは幸いだ。


このことをわきまえていなさい。


家の主人は、泥棒がいつやって来るかを知っていたら、自分の家に押し入らせはしないだろう。


あなたがたも用意していなさい。人の子は思いがけない時に来るからである。」


そこでペトロが、「主よ、このたとえはわたしたちのために話しておられるのですか。それとも、みんなのためですか」と言うと、 主は言われた。


「主人が召し使いたちの上に立てて、時間どおりに食べ物を分配させることにした忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。


主人が帰って来たとき、言われたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。


確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。


しかし、もしその僕が、主人の帰りは遅れると思い、下男や女中を殴ったり、食べたり飲んだり、酔うようなことになるならば、 その僕の主人は予想しない日、思いがけない時に帰って来て、彼を厳しく罰し、不忠実な者たちと同じ目に遭わせる。


主人の思いを知りながら何も準備せず、あるいは主人の思いどおりにしなかった僕は、ひどく鞭打たれる。


しかし、知らずにいて鞭打たれるようなことをした者は、打たれても少しで済む。


すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」


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