top of page
検索

主日礼拝・福井宝永教会

  • 執筆者の写真: 福井宝永教会 日本キリスト教会
    福井宝永教会 日本キリスト教会
  • 2022年4月28日
  • 読了時間: 2分

2022年5月1日(日)

10:30~


説教:自分の十字架を背負って

中村静郎牧師​


聖書:ルカによる福音書14章25~35節

讃美歌21:

83・11・465・466・29















 

新約聖書(新共同訳)より

ルカによる福音書14章25~35節


大勢の群衆が一緒について来たが、イエスは振り向いて言われた。


「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子供、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子ではありえない。


自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。


あなたがたのうち、塔を建てようとするとき、造り上げるのに十分な費用があるかどうか、まず腰をすえて計算しない者がいるだろうか。


そうしないと、土台を築いただけで完成できず、見ていた人々は皆あざけって、『あの人は建て始めたが、完成することはできなかった』と言うだろう。


また、どんな王でも、ほかの王と戦いに行こうとするときは、二万の兵を率いて進軍して来る敵を、自分の一万の兵で迎え撃つことができるかどうか、まず腰をすえて考えてみないだろうか。


もしできないと分かれば、敵がまだ遠方にいる間に使節を送って、和を求めるだろう。


だから、同じように、自分の持ち物を一切捨てないならば、あなたがたのだれ一人としてわたしの弟子ではありえない。」


「確かに塩は良いものだ。


だが、塩も塩気がなくなれば、その塩は何によって味が付けられようか。


畑にも肥料にも、役立たず、外に投げ捨てられるだけだ。


聞く耳のある者は聞きなさい。」




 
 
 

留言


© 2017-2025 by Fukui Houei Church.  

  • Instagram
  • Facebook
bottom of page