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執筆者の写真福井宝永教会 日本キリスト教会

主日礼拝・日本キリスト教会福井宝永教会


2018年8月26日(日)午前10時30分~

説教:「天上におられるキリストの姿」

中村静郎牧師


聖書:ヨハネの黙示録1章9~20節 讃美歌21

(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)

204(よろこびの日よ)

328(ハレルヤ、ハレルヤ(戦いは終わり))

 

新約聖書(新共同訳)より

ヨハネの黙示録1章9~20節

わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。

わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた。

ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていたが、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。

その声はこう言った。

「あなたの見ていることを巻物に書いて、エフェソ、スミルナ、ペルガモン、ティアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオディキアの七つの教会に送れ。」

わたしは、語りかける声の主を見ようとして振り向いた。

振り向くと、七つの金の燭台が見え、燭台の中央には、人の子のような方がおり、足まで届く衣を着て、胸には金の帯を締めておられた。

その頭、その髪の毛は、白い羊毛に似て、雪のように白く、目はまるで燃え盛る炎、足は炉で精錬されたしんちゅうのように輝き、声は大水のとどろきのようであった。

右の手に七つの星を持ち、口からは鋭い両刃の剣が出て、顔は強く照り輝く太陽のようであった。

わたしは、その方を見ると、その足もとに倒れて、死んだようになった。

すると、その方は右手をわたしの上に置いて言われた。

「恐れるな。わたしは最初の者にして最後の者、また生きている者である。

一度は死んだが、見よ、世々限りなく生きて、死と陰府の鍵を持っている。

さあ、見たことを、今あることを、今後起ころうとしていることを書き留めよ。

あなたは、わたしの右の手に七つの星と、七つの金の燭台とを見たが、それらの秘められた意味はこうだ。

七つの星は七つの教会の天使たち、七つの燭台は七つの教会である。

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