2018年2月11日(日)午前10時30分~
説教:「キリスト者の自由」
中村静郎牧師
聖書:ガラテヤの信徒への手紙5章1~12節 讃美歌21
(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)
483(わが主イェスよ、ひたすら)
569(今やこの世に)
新約聖書(新共同訳)より
ガラテヤの信徒への手紙5章1~12節
この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。
だから、しっかりしなさい。
奴隷の軛に二度とつながれてはなりません。
ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。
もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。
割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。
そういう人は律法全体を行う義務があるのです。
律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。
わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、“霊”により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。
キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。
あなたがたは、よく走っていました。
それなのに、いったいだれが邪魔をして真理に従わないようにさせたのですか。
このような誘いは、あなたがたを召し出しておられる方からのものではありません。
わずかなパン種が練り粉全体を膨らませるのです。
あなたがたが決して別な考えを持つことはないと、わたしは主をよりどころとしてあなたがたを信頼しています。
あなたがたを惑わす者は、だれであろうと、裁きを受けます。
兄弟たち、このわたしが、今なお割礼を宣べ伝えているとするならば、今なお迫害を受けているのは、なぜですか。
そのようなことを宣べ伝えれば、十字架のつまずきもなくなっていたことでしょう。
あなたがたをかき乱す者たちは、いっそのこと自ら去勢してしまえばよい。
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