2019年5月19日(日)午前10時30分~
「御子は天使にまさるⅢ」 中村静郎牧師
聖書:ヘブライ人への手紙2章10~18節
讃美歌21
(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)
518(主にありてぞ)
474(わが身の望みは)
新約聖書(新共同訳)より
ヘブライ人への手紙2章10~18節
というのは、多くの子らを栄光へと導くために、彼らの救いの創始者を数々の苦しみを通して完全な者とされたのは、万物の目標であり源である方に、ふさわしいことであったからです。
事実、人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされる人たちも、すべて一つの源から出ているのです。
それで、イエスは彼らを兄弟と呼ぶことを恥としないで、「わたしは、あなたの名を わたしの兄弟たちに知らせ、 集会の中であなたを賛美します」と言い、 また、 「わたしは神に信頼します」と言い、更にまた、 「ここに、わたしと、 神がわたしに与えてくださった子らがいます」と言われます。
ところで、子らは血と肉を備えているので、イエスもまた同様に、これらのものを備えられました。
それは、死をつかさどる者、つまり悪魔を御自分の死によって滅ぼし、 死の恐怖のために一生涯、奴隷の状態にあった者たちを解放なさるためでした。
確かに、イエスは天使たちを助けず、アブラハムの子孫を助けられるのです。
それで、イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。
事実、御自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練を受けている人たちを助けることがおできになるのです。
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