2019年6月2日(日)午前10時30分~
説教:「 神の民の安息 」 中村静郎牧師
聖書: ヘブライ人への手紙3章7~19節
讃美歌21
(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)
144(主に向かって喜びうたおう)
158(捕らわれの民)
新約聖書(新共同訳)より
ヘブライ人への手紙3章7~19節
だから、聖霊がこう言われるとおりです。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、
荒れ野で試練を受けたころ、 神に反抗したときのように、 心をかたくなにしてはならない。
荒れ野であなたたちの先祖は わたしを試み、験し、 四十年の間わたしの業を見た。
だから、わたしは、その時代の者たちに対して 憤ってこう言った。
『彼らはいつも心が迷っており、 わたしの道を認めなかった。』
そのため、わたしは怒って誓った。
『彼らを決してわたしの安息に
あずからせはしない』と。」
兄弟たち、あなたがたのうちに、信仰のない悪い心を抱いて、生ける神から離れてしまう者がないように注意しなさい。
あなたがたのうちだれ一人、罪に惑わされてかたくなにならないように、「今日」という日のうちに、日々励まし合いなさい。
―― わたしたちは、最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるなら、キリストに連なる者となるのです。――
それについては、次のように言われています。
「今日、あなたたちが神の声を聞くなら、 神に反抗したときのように、 心をかたくなにしてはならない。」
いったいだれが、神の声を聞いたのに、反抗したのか。
モーセを指導者としてエジプトを出たすべての者ではなかったか。
いったいだれに対して、神は四十年間憤られたのか。
罪を犯して、死骸を荒れ野にさらした者に対してではなかったか。
いったいだれに対して、御自分の安息にあずからせはしないと、誓われたのか。
従わなかった者に対してではなかったか。
このようにして、彼らが安息にあずかることができなかったのは、不信仰のせいであったことがわたしたちに分かるのです。
Comments