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執筆者の写真福井宝永教会 日本キリスト教会

主日礼拝・福井宝永教会


2019年6月23日(日)午前10時30分~

説教:「一人前のキリスト者の生活 」 中村静郎牧師​

聖書:ヘブライ人への手紙5章11~6章12節

讃美歌21

(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)

491(永遠の光よ)






 

新約聖書(新共同訳)より

ヘブライ人への手紙5章11~6章12節

このことについては、話すことがたくさんあるのですが、あなたがたの耳が鈍くなっているので、容易に説明できません。


実際、あなたがたは今ではもう教師となっているはずなのに、再びだれかに神の言葉の初歩を教えてもらわねばならず、また、固い食物の代わりに、乳を必要とする始末だからです。


乳を飲んでいる者はだれでも、幼子ですから、義の言葉を理解できません。


固い食物は、善悪を見分ける感覚を経験によって訓練された、一人前の大人のためのものです。


だからわたしたちは、死んだ行いの悔い改め、神への信仰、種々の洗礼についての教え、手を置く儀式、死者の復活、永遠の審判などの基本的な教えを学び直すようなことはせず、キリストの教えの初歩を離れて、成熟を目指して進みましょう。


神がお許しになるなら、そうすることにしましょう。


一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり、神のすばらしい言葉と来るべき世の力とを体験しながら、その後に堕落した者の場合には、再び悔い改めに立ち帰らせることはできません。


神の子を自分の手で改めて十字架につけ、侮辱する者だからです。


土地は、度々その上に降る雨を吸い込んで、耕す人々に役立つ農作物をもたらすなら、神の祝福を受けます。


しかし、茨やあざみを生えさせると、役に立たなくなり、やがて呪われ、ついには焼かれてしまいます。


しかし、愛する人たち、こんなふうに話してはいても、わたしたちはあなたがたについて、もっと良いこと、救いにかかわることがあると確信しています。


神は不義な方ではないので、あなたがたの働きや、あなたがたが聖なる者たちに以前も今も仕えることによって、神の名のために示したあの愛をお忘れになるようなことはありません。


わたしたちは、あなたがたおのおのが最後まで希望を持ち続けるために、同じ熱心さを示してもらいたいと思います。


あなたがたが怠け者とならず、信仰と忍耐とによって、約束されたものを受け継ぐ人たちを見倣う者となってほしいのです。


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