top of page
検索
執筆者の写真福井宝永教会 日本キリスト教会

主日礼拝・福井宝永教会


2019年9月8日(日)午前10時30分~

説教:「 忍耐が必要 」 中村静郎牧師​


聖書: ヘブライ人への手紙10章26~39節

讃美歌21

(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)

527(み神のみわざは)



 

新約聖書(新共同訳)より

ヘブライ人への手紙10章26~36節

もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。


ただ残っているのは、審判と敵対する者たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れつつ待つことだけです。


モーセの律法を破る者は、二、三人の証言に基づいて、情け容赦なく死刑に処せられます。


まして、神の子を足げにし、自分が聖なる者とされた契約の血を汚れたものと見なし、その上、恵みの霊を侮辱する者は、どれほど重い刑罰に値すると思いますか。


「復讐はわたしのすること、 わたしが報復する」と言い、また、 「主はその民を裁かれる」と言われた方を、わたしたちは知っています。


生ける神の手に落ちるのは、恐ろしいことです。


あなたがたは、光に照らされた後、苦しい大きな戦いによく耐えた初めのころのことを、思い出してください。


あざけられ、苦しめられて、見せ物にされたこともあり、このような目に遭った人たちの仲間となったこともありました。


実際、捕らえられた人たちと苦しみを共にしたし、また、自分がもっとすばらしい、いつまでも残るものを持っていると知っているので、財産を奪われても、喜んで耐え忍んだのです。


だから、自分の確信を捨ててはいけません。この確信には大きな報いがあります。


神の御心を行って約束されたものを受けるためには、忍耐が必要なのです。


「もう少しすると、来るべき方がおいでになる。遅れられることはない。


わたしの正しい者は信仰によって生きる。もしひるむようなことがあれば、 その者はわたしの心に適わない。」


しかし、わたしたちは、ひるんで滅びる者ではなく、信仰によって命を確保する者です。


閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

Comments


bottom of page