2018年1月7日(日)午前10時30分~
説教:「奴隷ではなく神の子である」
中村静郎牧師
聖書:ガラテヤの信徒への手紙3章21~29節 讃美歌21
(クリックすると宝永教会のパイプオルガンで演奏された奏楽音声が流れます。事前練習にお役立てください。)
441(信仰をもて)
新約聖書(新共同訳)より
ガラテヤの信徒への手紙3章21~29節
それでは、律法は神の約束に反するものなのでしょうか。
決してそうではない。
万一、人を生かすことができる律法が与えられたとするなら、確かに人は律法によって義とされたでしょう。
しかし、聖書はすべてのものを罪の支配下に閉じ込めたのです。
それは、神の約束が、イエス・キリストへの信仰によって、信じる人々に与えられるようになるためでした。
信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました。
こうして律法は、わたしたちをキリストのもとへ導く養育係となったのです。
わたしたちが信仰によって義とされるためです。
しかし、信仰が現れたので、もはや、わたしたちはこのような養育係の下にはいません。
あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。
洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。
そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。
あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。
あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。
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